妊娠6週で稽留流産
つかの間の妊娠期間
妊娠検査薬で陽性が出たのは、最終月経から計算して妊娠3週6日のこと。
翌日には体外受精をする予定だった病院の予約が入っていたのですが、事情を説明してキャンセルしました。
その時に、妊娠しているならもう受診しなくてもいいですよと言われたのですが、体外受精に向けて行った検査結果の説明がまだだったので、一度受診することに。
1週間後に受診し、ついでに血中HCGもみてもらい、妊娠4週の時点で1000を超える値にちょっとホッとしていました。
受診までの1週間の間、何の妊娠自覚症状もないため本当に妊娠しているのか心配になり、再度妊娠検査薬を試したことがありました。
妊娠初期はまだお腹が大きくなるわけでもなく、胎動も感じません。
赤ちゃんがお腹にいる実感がない妊娠初期って、こんなにも、赤ちゃんが生きているかどうかすごく不安なんだな・・・と身をもって感じました。
基礎体温は高温期をキープしていましたが、ちょっと下降気味になると流産を疑い、ドキドキ。
これはものすごくストレスだと感じ、夫にも勧められて、基礎体温を測るのはやめました。
その後は、一般不妊治療をしていた病院で経過をみていただくことにしました。
胎嚢が確認できたのは妊娠5週2日。
この時、胎嚢が8㎜ちょっとで週数と比べて小さいなと一瞬思ったものの、子宮内に胎嚢が確認できたことと他に異常はなさそうだという担当医の説明に心底安心し、次回の予約を3週間後に入れて帰宅。
しかも、出産予定日がかわいがってもらった母方の祖母の命日になりそうで、そのことはとにかく流産が心配だった私にとって、気持ちの支えになりました。
祖母が応援してくれているように思い、この妊娠はきっと継続できるんじゃないか、とちょっと自信が出ました。
奇跡の妊娠だーととにかくうれしくて、病院からの帰り道、バスの中からの見慣れた景色がやっと色づいて見えました。
不妊治療中の通院期間は心身共にぼろぼろになって、灰色にしか見えなかったのに。
これからは健診の度にうれしい気持ちでこの景色を見るんだなーと、そんなことすら嬉しく感じられるくらいでした。
流産の兆候
今日は5週何日、6週何日、7週何日・・・とカレンダーを見ながら数え、次の健診で心拍が確認できるのを楽しみにしていた4月の半ば、出血が起こりました。
気づいたのは仕事中。
ごくごく微量でしたが、ピンク色の出血があり、流産を疑って顔面蒼白になりました。
とりあえず仕事だけは冷静にこなし、一目散に帰宅。
「病院行く?」という夫に、出血は少しで腹痛もないし、今の時期の流産は病院に行っても止められないから、明日か明後日の日中、担当医が外来に出ている時に行くと答えました。
でも、何も対応策がないのがわかっていてもとにかく心配で落ち着きませんでした。
一方で、出血はしばらくすると止まりました。
出血から2日後、7週4日で受診。
あんなにビクビク、ドキドキしたエコーは初めてでした。
不妊治療中も「チョコレート嚢胞が大きくなっていたらどうしよう」と毎回ビクビクして、エコーが試験のように苦痛でしたが、そんなの比じゃありませんでした。
びらん?絨毛膜下血腫??と矢継ぎ早に聞く私に、担当医はびらんでもないし、血腫もないと。
「GS(胎嚢)は20㎜・・・。うーん、beat(心拍)が見えないねー」
見せてもらったエコー画像に映るのは、卵黄嚢もなく真っ黒な胎嚢のみ。
ああ、これは流産だと確信しました。
担当医からは6週相当の稽留流産が疑われること、あと1週間様子をみることを説明されました。
その時は、流産がショックだったのはもちろんのこと、また一からやり直しだとか手術するならいつごろかとか、手術なら仕事を休まなくちゃとか、そういったことで頭がいっぱいになりました。
周りの景色が一気にグレーになり、初めて、すれ違う大きなお腹の妊婦さんを見ることが辛いと思いました。
なんで?
不妊治療してやっと子どもを授かったのに、どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの?
妊娠初期の流産の可能性や確率をわかってはいても、到底受け入れがたい事実でした。
流産の確定診断
それからの1週間は、「着床が遅れて発育が遅め」という可能性に賭けてみたり、「やっぱり流産なんだ・・・」と落ち込んでみたり、落ち着かない毎日でした。
そんな私を見て、夫は「最後まで、お腹の子を信じてあげよう」とひとこと。
そのひとことに同意する反面、辛い現実をしっかりと受け止められるようにしなくてはとも思っていました。
今思えば、この気持ちのアップダウンの激しい1週間を過ごすことによって、徐々に流産を受け入れる気持ちが整ったような気がします。
1週間後の受診では不思議と、エコーでビクビクすることもありませんでした。
エコーを見せてもらい、胎嚢の大きさがほとんど変わっておらず、心拍も見えないことを確認し、流産の確定を理解しました。
自分でもびっくりするくらい、冷静でした。
ただ、心配して早く帰宅した夫の顔を見た時、涙があふれて止まりませんでした。
やっと授かった我が子に元気で会えないままお別れするなんて、今まで生きてきていちばん辛い経験でした。
それに何よりも、その苦しみを夫にも味わわせたこと、妊娠継続できなかったこと、赤ちゃんを会わせてあげられなかったことが本当に申し訳なく、何度も謝りました。
この時期の流産の原因の多くは胎児側因子(染色体異常等)の影響が考えられ、私の場合もおそらく胎児側因子だろうと担当医から聞いていました。
だから自分を責めなくていいと慰められたのですが、立ちっぱなしの仕事のせいじゃないかとか少し遠くまで出かけたからじゃないか、などと妊娠がわかってからの自分自身の行動に流産の原因を探してしまいました。
頭ではわかっているのです。
この時期の流産に、妊婦の行動の影響がないというのは。
産婦人科で勤務していた時、私自身も流産した妊婦さんに、ママのせいじゃないから自分を責めないで、この時期の流産には赤ちゃんの染色体異常が多いんですよ、などど声をかけていました。
でも、自分が流産を経験し、それは妊婦さんにとって必要な言葉だったのだろうかと思いました。
たとえ自分が原因でないとしても、一度妊娠した以上、自分の子どもを守れなかったという罪悪感は流産すると生じる感情だと思います。
そして、この時、私が思いがけず抵抗を感じたのは、せっかく私たちのもとへ来てくれた赤ちゃんに流産の原因を負わせることでした。
自分たちの赤ちゃんを悪く言いたくないし、悪く思いたくない、という気持ちは、妊娠を経験する前には想像できなかった気持ちでした。