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助産師が不妊治療を経験してわかったこと

子宮内膜症のため手術→不妊治療開始→体外受精で妊娠・出産した助産師の記録

恐るべし水子供養ビジネス

稽留流産

水子供養とは

 水子供養とは、自然流産、人工流産、死産などでこの世に生を受けることができなかった子どもを「水子」と呼び、供養することを指します。

 水子供養の歴史は浅く、戦後の日本で人工妊娠中絶が増加したことを背景に昭和40年代から全国的に広まったようですが、人工妊娠中絶の負の側面が強調されたり、「水子のたたり」等の言葉に表現されたりするように、あまり良いイメージはもたれていないのが現実かと思います。

 

水子供養をすることに

 完全流産の診断後、私たちは赤ちゃんが安らかに眠れるように水子供養をおこなうことにしました。

 稽留流産の診断が下った時、わりと信心深い私は赤ちゃんに対して何らかの供養をしたいと考えていました。

 夫の反応はどうだろうかと気にしながら、その考えを打ち明けると、夫からもすんなりと供養したいと思っていると返答が返ってきました。

 夫は私が想像していたよりもずっとずっと、赤ちゃんに対して愛着を持ち、流産を悲しんでいたようです。これは、私が一人で流産を抱え込まずに過ごす上で、大きな助けになりました。

 

 私たちはインターネットで探し、読経のみの水子供養をしてくださるというお寺へ供養をお願いすることにしました。

 うちは浄土真宗なので、浄土真宗のお寺を探したのですが、浄土真宗では水子供養という概念がなく、供養をおこなっていないとのこと。

 でも、供養はしたいよね・・・ということで、宗派を問わずに供養してくれるお寺を探しました。

 

 水子供養は自然流産からちょうど1週間経ったゴールデンウィーク中におこないました。

 水子供養にはおもちゃやお菓子をお供えするという情報をネット上では見ましたが、おもちゃやお菓子をイメージできるほどお腹の子が育っていなかったこともあり、仏花ではないかわいらしいお花だけ用意して、お寺へ伺いました。

 初めて伺うお寺で緊張していましたが(怪しげなお寺だったらどうしようとか)、比較的新しいきれいなお寺でした。迎えてくださった住職の方も温かく、本当に丁寧にお経をあげてくださいました。

 「お父様、お母様のお気持ちはきっと赤ちゃんに届いていますよ」と最後に声をかけてくださった時には、涙がこぼれそうになりました。

 お寺の外には水子の観音様像があり、いつでもお参りできるようなので、またお盆にお参りする予定です。

 

びっくりの水子供養ビジネス

  今回、水子供養をするにあたっては、どこでできるのか、どのくらいお布施を包んだらよいのか等々わからないことだらけで、全てインターネット検索に頼りました。

 その結果、水子供養のみおこなっているお寺と檀家を抱えた一般的なお寺がヒットしてきました。

 ホームページに目を通した上でかなり怪しげなお寺は避け、私たちの希望(お経をあげてもらう)にかなう檀家を抱えた一般的なお寺を選びましたが、ホームページにはそれぞれ微妙に異なることが書いてあったりするので、決めるにはかなり時間がかかりました。

 なぜなら、想像を上回るほど水子供養ビジネスが展開されていたからです。

 塔婆5000円とか永代供養10万円とか位牌・戒名5万円とか・・・!!

 私たちの希望はお経をあげてもらってお参りすることだったので、これには面食らいました。

 また、わかりづらいことに、基本的に供養は気持ち次第という面がありますから、流産・死産別の供養の目安みたいなものはありませんし、もちろん妊娠週数による違いもありません。お布施についても明確な金額を示すお寺もあれば、気持ち次第としているお寺もあります。

 お経だけにと思っていたけど、塔婆もお願いするのが普通なのか?

 戒名はこっちのホームページには必要って書いてあるけど・・・とか、本当に迷いました。

 赤ちゃんが安らかに眠れるようにと願うなら、戒名も塔婆もお願いして供養するのが普通なのかなど、だんだん赤ちゃんへの気持ちを試されているような気さえしてきました。

 夫と再度話し合い、赤ちゃんが安らかに眠れるように祈り、そして私たちのもとへ来てくれてありがとうと感謝の気持ちをこめて供養してもらおうということになりました。何か形を残すのではなくて、私たちが今回の赤ちゃんの存在をずっと忘れないようにすればいいのだから、最初の希望通りお経だけで供養してもらおうということになりました。

 

水子供養に違和感を感じたこと

 現代ではなんとなく、「水子のたたり」とはあまり言われなくなったように感じていたのですが、目を通した中にはたたりとは言わないまでも脅しのように受け取れる表現のホームページもいくつか見受けられました。

 それは、「現在の子どもに情緒障害がある場合は、水子の影響がある」「水子供養してから仕事がうまくいくようになり出世した例がある」「人工中絶してからノイローゼになったが、水子供養で治った例がある」等の表現です。

 現在の子どもの情緒障害=水子供養をしていないからなんて、どうして断言できるのでしょうか。

 なんの科学的根拠もなく、いたずらに不安をあおるような表現はどうかと感じました。

 ビジネスとして成り立たせるためには、そういう表現でお客を呼ぶのが効率的なのかもしれませんが。

 「命の大切さ」を殊更に強調しているお寺のホームページも目にしました。

 私は、命の大切さがわかっている=人工妊娠中絶しないというものではないと思っています。

 命の大切さがわかっていても、色んな事情で中絶を選ばざるを得ないことだってあるはずです。

 妊娠に至るプロセスがどんなに女性の人権を踏みにじるようなものでも、命は大切なので、中絶してはいけないのでしょうか。

 このように、水子のたたりや命の大切さを強調することにより、女性が中絶を選択せざるを得ない時に過剰な恐怖や罪悪感を植え付けたり、そもそも中絶を選べないといったりすることも生じるのではと思います。

 また、自然流産や死産でも、女性を追い込む表現にほかならないと思うのです。

 水子供養は、親があの世での子どもの幸せを祈り、心をこめて安心して供養できるものであってほしいと思います。