助産師が不妊治療を経験してわかったこと

子宮内膜症のため手術→不妊治療開始→体外受精で妊娠・出産した助産師の記録

『妊娠できないこと』がなぜこんなに辛いのか

私が感じる不妊治療中のストレス

 不妊治療をしていると、治療期間が長くなればなるだけ、様々なストレスが生まれるといわれます。

 私の経験をふまえていうと、ストレスは様々な内容のものが複雑に絡み合い、時期によっても異なり、自分自身でも何が今いちばん辛いのかがわからなくなる時があります。

 ストレスがMAXになっている時、夫に「何が今いちばんストレスなの?」と聞かれても、いっぱいありすぎてすぐに答えることができません。

 私は今、何が辛いんだろう・・・。

 ひとことでいえば『妊娠できないこと』がストレスなのだけど、場面によって感じる細かいストレスは思いつく限りざっと羅列すると以下のようなものがあります。

 

 通院や待ち時間の長さ、医師から指示された時期にタイミングをとること、採血などの検査、値を気にしながら測定する基礎体温子宮内膜症の進行、月経予定日が近い高温期の後半、夫への申し訳なさ、両親(夫側・自分側)への申し訳なさ、月経が予定通りに来ること、いつ妊娠できるのかわからないこと、不妊治療を優先するため他のスケジュールを組みづらいこと、不妊治療と仕事の両立、「子どもはまだ?」と聞かれること、知られたくない人に不妊治療をしていることを知られること・・・・

 

 まだまだあるような気がします。

 妊娠すれば一気にこれらのストレスから解放されるでしょう。

 でも、その日はなかなかやってきません。

 それでまたストレスが・・・という繰り返しです。

 

妊娠できない辛さの背景

 それにしても、『妊娠できないこと』がなぜこんなに辛いのでしょうか。

 その理由に、私が女性として本来持っている機能を生かせていないからというのがあります。子宮内膜症を患って妊娠しにくい身体になり、自然妊娠がなかなか叶わず、妊娠しても流産してしまうという状況は、「スムーズに自然妊娠でき、妊娠継続できて、出産できる身体」という理想からかけ離れているからです。

 また、今の日本において「子どもがいないカップル」は少数派で、「結婚したら子どもがいるのが普通(できれば子どもは2人くらい)」という社会通念が『妊娠できないこと』の辛さを増長しているように思います。

 結婚してからは、二言目には子どもの有無を聞かれます。

 私の経験では、同じマンションの理事会の集まりで、奥様方に「お子さんは?」と聞かれ、「うちはいないんです」と答えたところ、途端に怪訝な顔をされ「うちは2人います」「うちも2人いるの」等と言われたことがあります。

 その時はなんだか、子どもの有無で「うちとは違う」というような区別をされたように感じました。

 夫は結婚当初、会社で「子どもは?」とよく聞かれたのに、3年ほど経った現在は全くといってよい程聞かれないそうです。聞かれなくて楽だけど、子どもがいないのは何らかの事情(たとえば不妊とか)があるのだろう、触れてはいけないと思われているのだろうな、と言っていました。

 このように、聞く方は子どもがいて当然のように思い、気軽に聞くのでしょうが、子どもがいないことがわかると途端に怪訝な顔をされたり、気まずそうにされたりし、そこで会話が終わってしまいます。時々、「子どもはいいよー」という押しつけをしてきたり、「子ども嫌いなの?」と踏み込んできたりする人もいますが、どうして子どもがいないのか聞いてくる人は殆どいません。今は実態はともかく、「不妊」という言葉自体はうっすら知られていますから、おそらく、「ああ、この人、不妊なのかもしれないな。まずいこと聞いちゃったな」というふうになってしまっているような気がします。そして、「子どもがいる家庭」と「子どもがいない家庭」に勝手にカテゴリー化されます。

 

子どもがいない生活に対する偏見

 こういった「結婚したら子どもがいるのが普通」という社会通念に私は違和感があります。

 しかしながら、どうして苦しい思いをしてまで子どもを望むのか考えていた時に、私自身も子どもがいない生活に対して特別視する傾向があることに気づき、愕然としました。

 子どもの有無を問う質問に対して嫌悪感があるにもかかわらず、自分が子どもを望む気持ちは「結婚したら子どもがいるのが普通」という考えから生じているように思います。そして、描く家庭のイメージ像には子どもがいるのに、今の自分の状況と一致しないことに戸惑い、焦ってもがき、苦しんでいるのです。

 それは夫も同じでした。「色んな生き方があっていいとは思いながら、結局、自分が結婚して子どもがいるという生活を当然と考えてしまっている。それがすごくショック」と話していました。そして、「結婚して、子どもがいて、結婚生活を継続するのが当然っていう考え方は窮屈だよね」とも。

 ただ、夫婦ともに不妊治療を通して、自分の偏見に気づき、不妊治療の苦しみに対する理解を少しずつ深められていることはよかったと思っています。

 

多様な生き方を認める社会に

 もし、私がこの先幸いなことに子どもを授かることができたら、子どもの有無に関する質問に苦しめられることはないでしょう(新たに「二人目は?」と聞かれることはあるでしょうが)。

 でも、不妊治療や子どもがいないカップルへの特別視がなくならない限り、今の日本社会における不妊治療中のカップル、子どものいないカップルの生きづらさは変わりません。

 子どもがいるから幸せ、子どもがいないから不幸せといった決めつけは、ますます子どもがいないカップルへの偏見を強めます。

 不妊治療の実態を知ることはもちろん、まずは少しでも自分の偏見に気づき、多様な生き方があることを認めようとすることが大切だと感じました。

 また、家庭=両親と子ども2人というモデルをスタンダードにするのではなく、様々な家庭、生き方があることを示すことが多様性を認める上での一助になると考えます。

 今後、私たちのもとに子どもが授かれるかは未知数ですが、今は二人暮らしを楽しみながら、これまでと変わらず堂々と暮らしていくつもりです。