不妊治療はよい経験になったと言えるのか
できれば逃れたかった経験
育児に追われている現在ですが、ふと不妊治療をしていた頃を思い出すことが度々あります。
夢中で治療に心を砕き、過密なスケジュールを綱渡りでこなしていた日々。
卵子の成長と数、受精卵の数、分割して胚盤胞まで達した数、グレード・・・・。
移植したら着床するか心配し、着床後は流産しないかハラハラ・・・。
自然妊娠の場合は可視化できない小さなステップが目の前に提示される分、次から次へと心配や不安が起きていました。
心身への負担はもちろん、経済的負担も大きかったですし。
今振り返ると、よくあんなに大変な思いをして治療をしたものだと、あの時の自分を褒めたい衝動に駆られます。
そんなストレスフルな不妊治療ですが、助産師をしていたからか、周りからたまに、
「大変だったと思うけど、いい経験になったね。なんだかんだ言っても子ども授かれたんだから、ほんと良かったじゃん!」
「復帰したら、不妊治療をしている人の苦しみがよりわかるようになるんじゃない?」
と言われたことがありました。
いやいやいや・・・・。
はっきり言いますが、私は娘を授かった今でも、「不妊治療が自分にとってよい経験になった」なんてひとつも思っていませんし、思えません。
できることなら、あんな大変な思いをせずに妊娠し、出産したかった。
それだけです。
この気持ちには変わりありません。
それは流産経験についても同じことが言えます。
あの苦しみは経験しなくて済むなら味わいたくなかった。
流産の苦しみが仕事に生かせると感じたり、経験してよかったと思ったりしたことは一度もありません。
全ての経験を肯定できるわけではない
人間は自分の歩みを否定したくはないので、前向きに考えたり、記憶を無意識に美化しようとするものなのかもしれません。
だから、「どんな経験でも無駄ではない」とか「あの経験があったから今がある」と経験を糧にするものだと思います。
でも、全部が全部そのように思える経験ばかりではないですし、経験しなくてもよかったことだってあるはずです。
もちろん、すべての経験を意味あるものとして、肯定的に捉えて頑張る人もいるので、それについては否定しません。
ただ、当事者がとてもとても辛くて、取り返しがつかないと感じている経験に関しては、いくら慰めだとしても他人が経験を肯定的に捉えるように勧めたりするのは、何か違うのではと思います。
第二子を考えると、もれなく不妊治療や流産への恐れがついてきます。
特に不妊治療には、育児しながらまたあの大変な思いをするのか・・・というげんなりした気持ちを感じます。
そんなこともあって第二子に関しては迷い、悩んでいる段階で、でも希望するなら今年の内には治療を再開しなければと考えているところです。