助産師が不妊治療を経験してわかったこと

子宮内膜症のため手術→不妊治療開始→体外受精で妊娠・出産した助産師の記録

自然流産後のこと

自然流産後の経過

 自然流産した日の夜は、全く眠れませんでした。

 もうお腹に赤ちゃんはいないんだという淋しくて悲しい気持ちとそれまでの自然流産待ちの緊張から解放されてホッとした気持ち、また私は妊娠できるのだろうか、いつ妊娠できるのだろうという不安、色々なことがぐるぐるとまわりました。

 それに、あらかじめ処方されていた子宮収縮剤を直後に内服したところ、結構強めの下腹痛が起き、余計に眠れなくなりました。

 朝までが本当に長かったです。

 出血は自然流産後2日日までは量が多めで経過しました。それも、2日後の夜に少し大きめの血の塊が出てからは、ぐんと量が少なくなりました。たぶん、少し残っていた組織が排出されたのだと思います。

 完全に出血がなくなったのは、流産から2週間程経過した頃でした。

 

完全流産の診断

  病院には自然流産から5日後に受診し、エコーで完全流産であることを確認しました。

 その日は一応、ホルマリン漬けにした子宮内容物を提出しましたが(あらかじめ流産前にホルマリン入り容器をもらっていました)、担当医が内容物を確認したところ、正常妊娠だったようだし日が経っているから染色体検査は不可能だしということで、病理検査は見送ることになりました。

 内容物が残っていれば手術の可能性もあったので、きれいに流産したことにホッとしたのと同時に、もうお腹の赤ちゃんはいないんだなぁと改めて実感しました。

 妊娠が分かってから、描いていたこの先の未来像には必ずお腹の赤ちゃんが一緒でした。その未来像が稽留流産の診断と共に突然なくなり、その時の私は「もうこれからは何の楽しみもない」と感じるくらい、落ち込んでいました。

 稽留流産の診断を受けた時よりは落ち着いていたものの、悲しみと虚しさは変わらず湧き上がってきます。

 でも、泣かないように必死で歯を食いしばるしかありませんでした。

 ただでさえ診察待ちの患者さんや妊婦さんが多いのに、私が泣いたりして診察時間を長引かせてはいけないという変な職業意識や看護師さんへの配慮で精いっぱい、自分を支えていたような気がします。

 今、流産・死産・新生児死亡時のケアは少しずつ少しずつ、患者さんの気持ちに寄り添う方向へと良い方に変化してきています。

 しかし、現状ではまだまだケアが浸透しているとはいえません。

 産科に関わる医療従事者(医師・看護師・助産師)は、新しい命の誕生を迎える母親や元気に生まれてくる赤ちゃんへのケアほどには、赤ちゃんの死に慣れてはいません。

 そのため、流産・死産・新生児死亡などの赤ちゃんの死に直面した時、産科に関わる医療従事者はとても戸惑い、「なんて声をかけたらよいのか」「こんなこと言ったら傷つけるかもしれない」と自分がおこなおうとするケアに不安を感じることが多いです。

 その結果、産科に関わる医療従事者は患者さんに対してそんなつもりはなくとも回避的な態度になってしまい、患者さんは孤独感を強め、悲嘆作業が阻害されてしまいます。

 私自身の経験をふまえていうと、妊娠がわかって受診した時、不妊治療による通院ですっかり顔見知りになっていた外来の看護師・助産師はとても喜んでくださったのですが、流産の診断が下ってからというもの、言葉を交わすことはありませんでした。

 あの人は助産師だから大丈夫と思われていたのかもしれないですし、きっと声をかけにくかったであろうことも十分理解できるので、仕方ないことと感じています。

 しかし、こちらから看護師・助産師に何か気持ちを表出するタイミングもありませんでしたし、表出できる雰囲気もありませんでした。

 「かわいそうな患者」と思われたくなくて、迷惑もかけたくなくて、必死に自分を取り繕い、流産宣告を受ける前と同じような態度で振る舞っていました。

 これは結構つらかったです。

 苦い経験でしたが、こういった経験を糧に、臨床に戻った際には流産・死産・新生児死亡時のケアにも一層心を砕こうと前向きにとらえています。

 

 参考までにですが、流産・死産・新生児死亡を経験した方々の気持ちを理解する上での一助となる本をご紹介致します。

 自分が当事者になってから読むと、改めて胸に迫るものがありました。