産後の経過:子宮内膜症と潜在性甲状腺機能低下症
自分の時間が思うように確保できず、ブログの更新が滞りがちです。
書きたいこと、いっぱいあるのに!
チョコレート嚢腫が消えた!
さて、先週、婦人科と内分泌科の受診をしてきました。
どちらも、今後もお付き合いを続けていかなくてはなりません。
婦人科は1ヶ月健診以来なので約3ヶ月ぶり、内分泌科は出産前が最後だったので約4ヶ月ぶり。
子宮内膜症は、産後の1ヶ月健診時の診察では、エコーで見る限り両卵巣共にほとんど病変がない状態でした。右の卵巣にわずかにチョコレート嚢腫っぽいものがあるかな、といった感じ。
今回の診察では更に良くなっていて、なんと、両卵巣共に病変が確認できない状態でした。
まだ月経が再開していないので、状態が悪化していないだろうとは予測できましたが、この結果は嬉しかったです。
子宮内膜症の治療には妊娠が良いとは聞いていましたが、こんなに効果があるなんて!
次は月経再開後に受診の予定です。
月経が再開すれば子宮内膜症はまた悪化することが考えられるので、ミレーナ(子宮内に装着し、持続的に黄体ホルモンを放出させるデバイス。避妊や過多月経の治療に用いられる)を挿入するか、ピルを内服するかを考えなければなりません。
医師からは、第二子を早期に希望する場合はミレーナだとコストのもとがとれないかも、という説明があったので、第二子を希望する時期を考えて治療を選択しなければと考えています。
年齢を考慮すると、第二子を希望するならできるだけ早くと思うのですが・・・。
もともと子どもは2人授かれたらいいなとは思っていましたが、今はまだバタバタしていて二人目をという気になれないのと、一人育てながらまた治療に通うこと等を考えると、二の足を踏んでしまう自分がいます。
また、主治医からは、内膜症が良くなっているから今度は何度か自然周期にトライしてみたらという提案もあり、選択肢が色々あると迷う気持ちも生じています。
TSHも正常値に
潜在性甲状腺機能低下症も、採血の結果、TSHは正常値でした。
内服は出産したら中止と言われて止めていたので、採血結果は内服していない状態での値です。
「じゃあ、もう治ったってこと!?」と色めきたった私ですが、今回は正常値でもまた異常に転じることもあるし、次回の妊娠に影響を及ぼすといけないので、第二子を希望したらまた受診してください、とのことでした。
1度流産しているし、今回の妊娠判明時にもTSHが異常値でヒヤヒヤした経験があるので、もし次の妊娠を望んだ時には必ず受診し、データを見てから自然周期にトライするなり治療に通うなりしようと思います。
この記事を書いていてふと気づいたのですが、1年前のちょうど今日が移植日でした。
振り返るとあっという間だったような、長かったような・・・。
今、ベビーラップの中ですやすや寝ている娘を見ると、辛いことはいっぱいあったけれど、IVFまで進んで治療して良かったと心から思います。
そして、奇跡の連続で生まれてきてくれた娘に感謝です。
どうかどうか、赤ちゃんを望んでいる方々のもとに、元気な赤ちゃんが授かりますように。
産後の大出血 -出産レポート⑤-
出産レポートの続きです。
出血が止まらない
胎盤娩出までの出血量が800mlだと聞いた私は、この感じだと分娩後2時間までの間にトータルで1000mlくらいは出血するかなと予測していました。
分娩後2時間までの出血量は500ml以内が正常範囲です。
分娩当日の朝採血した結果ヘモグロビン値が8.0g/dlで貧血だったので、この大量出血は予測できたことではありました。
出産前最後の健診のヘモグロビン値は11.0g/dlだったのに、1週間余りで値がかなり低下していました。
出血が多かったので、点滴がもろもろ追加されました。あとは、スポーツドリンク等で水分補給をこまめにおこないました。
そして、尿管も入れてもらいました。嫌だったけど、安静にしなくてはいけないし、膀胱が充満すると子宮の収縮が悪くなるので仕方ありません。
血圧もこまめにチェックしてもらいましたが、血圧は異常なし。
私も産後で興奮していて、処置を終えて戻ってきた娘に授乳したり、夫と話したり、胎盤を見せてもらったり、意識ははっきりしていました。
ところが、分娩後1時間の時点で総出血量がすでに1,000mlを超えており、出血が止まる気配がないということで、急遽当直医の診察を受けることになりました。
結局、胎盤娩出の際に、胎児を包んでいた卵膜の一部が子宮内に残ってしまっていることがわかり、それを掻き出す処置がなされました。
これがまた、痛かった・・・(泣)。
せっかく陣痛から解放されたのに、また新たに別の種類の痛みを味わわなくてはいけなくて、できることなら麻酔してほしいと思ったけれど、麻酔するほどでもない処置でもあり・・・。
ただ、この処置が功を奏し、出血はみるみる減りました。
とはいっても、結果的には分娩後2時間までの総出血量は1400mlを超えました。
本来は分娩後2時間まで分娩室で様子を見て、問題なければ病室に戻るのですが、私の場合は念のため、分娩後4時間近くを分娩室で過ごしました。
分娩台は硬いので、背中や腰が痛くてがちがちに。
ようやく病室へ戻る許可が出され、起き上がって車いすへ移動をする時には身体が思うように動かなくて、自分の身体じゃないみたいでした。
病室に戻ったのは、日付が変わった0時過ぎ。
娘は出生後体温が低くなってしまったため新生児室で預かりとなり、ゆっくり休むようにと言われましたが、興奮して全然眠れませんでした。
そして、預かってもらったとはいっても夜中も3時間毎に連れてこられる娘の授乳は早速始まり、貧血でふらふらの身体で(分娩翌日のヘモグロビン値は6.0g/dl!)怒涛のような産後がスタートしました。
全ての妊婦さんが無事に出産できますように
以上で出産レポートは終了です。
初産だし、出産は分娩予定日近辺だろうなーとのんびり構えていた私の予測を裏切り、もう少しで早産になるところだった出産。
また、1400mlを超える出血量を思うと、万全の医療体制整っている総合病院で出産し命を救ってもらったことは本当によかったと思います。
何にでも言えることですが、妊娠・出産には「絶対大丈夫」「私には(異常は)起こらない」ということがありませんし、何か起きた時の後悔は計り知れません。
助産師として様々なケースに遭遇してきたからこそ、今回、母子ともに命が無事だったことは何事にもかえられない、かけがえのないことでした。
どうか、今現在妊娠している方々の妊娠経過が順調でありますように。
また、もうすぐお産を迎える方々が母子ともに健康で出産できますように。
そう願わずにはいられません。
いよいよ出産 -出産レポート④-
出産レポートの続きです。
猛烈な睡魔と激しい痛み
さて、念願の分娩室へ移動した私。
基本的には、状況によるものの、初産婦なら子宮口全開大で分娩室へ移動です。
しかし、まだ全開大ではなかったため、分娩は先と判断したであろう助産師さんは分娩室を出て行ってしまい、私は分娩台の背もたれを起こしてもらい、そこにしがみつくような体勢で陣痛をやり過ごしました。夫は私の希望によりものすごい力で、腰のマッサージをしてくれていました。
分娩室には夫と私の二人のみ。
チッチッチッと進む時計の針の音が異様に大きく聞こえました。
その時の陣痛は2分おきで、本当に痛かったです。陣痛と陣痛の間はものすごい睡魔が襲ってきてウトウトするのですが、陣痛がやってきた途端に地獄に落とされるような苦しみでした。同時に、陣痛の度に胎児が猛スピードで降りてきている感覚があり、自然といきみが入っていました。
それをしばらく繰り返した後、主治医と助産師さんが現れ、子宮口の全開大を確認。
というか、主治医がまたもや刺激で全開大にしたようでした。
この時はとても痛いながらもどこか冷静で、「助産師さんがまだ手洗いしていないっぽいし、ガウンを着ていないからお産はまだだな」とか「分娩のセットをまだ開けていないからまだか」とか、周りの状況を見ながら自分の分娩進行状況を判断していました。
待ちに待った我が子との対面
そして、ついに、分娩の体勢をとることに。
しかし、それまでは背もたれにしがみつくことができたのに、急に仰臥位でいきめと言われてもどこに力を込めたらいいんだ、こんな格好で力なんて入らないと思い、とうとう弱音を吐きました。
「私、仰向けで産めるのかな・・・」「もう、吸引でも鉗子でもいいです・・・」
フリースタイル出産が頭をよぎりましたが、出産した病院ではやっていず、一瞬ものすごく後悔。
そんな私に主治医も助産師さんも「大丈夫大丈夫」「(吸引と鉗子分娩の)適応がないから、自力で頑張れ」と言うばかりで、私も覚悟を決めて最後の力を振り絞ることにしました。
とにかく、陣痛が来たら深呼吸を繰り返して呼吸を整え、ピーク時にしっかりいきむ、いきむ時には足をちゃんと開いて目はお臍を見る感じ、と自分が助産師をしていて介助していた時に声掛けをしていた内容を心掛け、必死に頑張りました。
途中、骨盤の一番狭いところに赤ちゃんの頭がはまったであろう時に心音が下がり、酸素マスクも装着されました。
どのくらいそのいきみを繰り返したかわかりませんが、無心になって必死に頑張った結果、まだだろうと思っていたのに、赤ちゃんの頭が挟まっている感覚が。助産師さんに「触ってみる?」と聞かれ、思わず手を伸ばすと我が子の頭に触れました。
そこからは、「あともう2回くらいいきんだら生まれるよ!」という助産師さんの声と、「頑張れ!」と枕元で励ます夫の声を聞きながら、もう無我夢中でした。
「はい、頭出るよー」という助産師さんの声を聞き、短息呼吸に切り替えなくちゃと掴んでいたバーから両手を離した瞬間、突然、ずるんと何か出る感覚。
視線の先には我が子が見えました。
20時01分、女児誕生。
その時は、感動よりも先に「ああ、本当にお腹に人間がいたんだ」という気持ちと爽快感でいっぱいに。
主治医が「今、泣かすからねー」と言うのを聞いて、「あ、まだ泣いてないんだ」と思った時、「うみゃー、うみゃー」と元気な声が聞こえてきました。
顔は見えなかったけど、枕元に立っていた夫の声は「泣いてるね!」「よく頑張ったねー!」と喜びいっぱいのように聞こえました。
そうしてようやく、臍の緒がつながったままの我が子と対面。
頭を撫でながら、「よく産まれてきてくれたね。ありがとう!」と言ったと思います。
これまでの人生で味わったことのない喜びを感じました。
ものすごくうれしい対面でした。
事前に主治医に「余裕があれば、私が臍の緒を切りたいです」と伝えており、臍の緒は私が切らせてもらいました。
その後、処置の為に娘は別室へ。
体重は2778gと知らされ、低体重じゃなかったとホッとしたのもつかの間、胎盤が出た時点で私の出血が800mlとかなり多いという状況に陥りました。
痛みとの戦い -出産レポート③-
出産レポートの続きです。
生まれないかもという不安
入院当日より眠れたものの、やはり熟睡はできないまま3日目の朝を迎えました。
この日は金曜日。
朝、訪室してきた主治医に「今日も不発だったら帝王切開ですよね」と聞くと、「いや、採血結果も悪くないし、適応がないから帝王切開はしないよ」とのこと。
え、じゃあ、どうするの?今日ダメだったらまた明日に持ち越しってこと?と等と思いながら、陣痛室へ移動し、また促進剤の点滴を受けることになりました。
その日の促進剤は1、2日目とは異なる促進剤でした。
子宮口4㎝の時点から促進剤の点滴が開始し、痛みもすぐには来ないので暇を持て余していたところへ夫がやってきました。
しかも、ちょっとおしゃれをしているではありませんか!
理由を聞くと、「今日生まれたら一緒に写真撮るから」と返答が(笑)。生まれないかもしれないよと返しましたが、おかげで緊張がほぐれました。
ひたすら痛みが来るのを待つ中、他の陣痛室からは絶叫が聞こえます。
「私もあんなふうに絶叫したらどうしよう・・・」と心配に。しかし、その心配とは裏腹に、ちっともお腹が痛くなりません。点滴の速度を上げにくるスタッフさんに痛みの程度を問われ、その度に「いや、まだです・・・」と答えることが繰り返されました。
やっと来た陣痛
痛みを感じ始めたのはお昼くらいでした。
配膳された昼食を「痛い・・・。でも食べなくちゃ体力がもたない・・・」と、痛みの合間を縫うように食べました。
この日のメニューはナポリタン。
2日前の入院時に選択したメニューでしたが、なぜご飯を選ばなかったのかと後悔するヘビーさ。それでも、体力不足で陣痛が弱くなることはもっと辛いので、頑張って全量摂取しました。これからはナポリタンを見る度に、陣痛のことを思い出しそうです(笑)。
その後、痛みがじわじわと来る中、前日担当だった助産師さんが様子を見に来てくださいました。で、一通り話した後「刺激してあげるよ」と。
刺激の痛みを思うと断りたいところでしたが、もう早く産んでシャワーをしたい私は意を決して、その助産師さんに刺激をお願いしました。
結果、ものすごく痛くて痛くて、痛かったです。
でも、まだ子宮口は4㎝で、痛みが来始めても全然進んでいない所見に、今日もダメかなと諦めかけました。
ただ、そのうち、痛みの間隔が徐々に狭まり、程度も強くなってきました。
アクティブチェアーという椅子に座って、夫に腰をさすってもらい、一点を見つめてひたすら呼吸法で痛みを逃して過ごしていました。
痛いけど、声を出しても進むわけじゃなし、とにかく痛みから気をそらす、もしくは耐えてやり過ごすしかないと思い、呼吸法に集中していました。
この時の痛みはとにかく腰が割れるような痛みで、なおかつ腰から下を引っ張られるような、誰かに持っていかれそうな、そんな痛みでした。
そんな状況下で過ごすこと3時間程、点滴の残りが少なくなった15時頃、その日担当だった新人の助産師さんが「今日はこれで終わりです」と告げに来ました。
その時の気持ちは、「ウソ!?こんなに痛いのに、今日は終わりってそれはないでしょう!」。
ちょうど配膳されたおやつを食べられないレベルだったのはもちろん、明らかに前日、前々日とは違う痛みだったので、お願いして診察してもらうことになりました。
その結果、子宮口は6㎝まで開大していました。
診察してくれたベテラン助産師さんは「これならいける!」と言い、すぐに主治医へ報告、点滴が再度追加されました。
そして、お約束の主治医の診察により、子宮口は6㎝から8㎝へ開大されました。
これもものすごく痛かった・・・。
そこからは陣痛の度に本当に痛くて辛かったです。
同時にやってくる、胎児の頭が下がってくることによる、お尻への圧迫感。
腰をさすってくれている夫の手を痛みの強い場所へと誘導し、テニスボールでお尻を抑えてくれている夫に「もっと強く押してー」と言うことの繰り返し。
少しでもお産が進むようにと、アクティブチェアーに座ることのみならず、ベッドの背もたれを上げてそこにしがみつくようにして陣痛をやり過ごしました。
この時、点滴のためにトイレも近かったのですが、トイレに入っている間に陣痛が来るともう地獄のような苦しみでした。
それでも、「膀胱充満していると児頭が下がってきにくいから・・・」とアセスメントしてしまう私。
8㎝から全開大までがいちばん辛いんだ、いきむことができるようになったら楽になるはず、分娩室へ移動したらゴールが見えると自分に言い聞かせていましたが、とにかく早く分娩室へ行ってホッとしたい気持ちが強く、半ばお願いする形で18時半頃に分娩室へ移動しました。
胎児心音低下 -出産レポート②-
遅々としていますが、出産レポートの続きです。
書きたい記事が色々あるのに、子どものお世話で一日があっという間に過ぎてしまい、パソコンに向かう時間がとれません(涙)。
胎児心音低下にドキドキ
入院当日の陣痛誘発は不発に終わり、その日はそのまま陣痛室で過ごすことになりました。
破水しており、胎児の頭の位置もまだ高く、臍帯脱出のリスクがあるからと、動ける範囲はトイレまでのみ。
もちろん、感染予防のためシャワーも許されず。
陣痛室にはテレビもなくて、寝るしかないという感じでした。
そんなわけで、夕食と洗面を済ませた後は、体力温存のために即寝ることにしました。
ところが、そこへ眠れなくなる出来事が。
就寝前にCTGモニターを装着され、胎児心拍を聞きながらウトウトしていたところ、突然、胎児の心拍数がゆっくりと低下。
リズムで気づき、モニター画面で心音の低下を改めて確認した私は、慌てて横向きの体勢を取りながらナースコールを押しました。
離れたところでモニター画面を見ていた助産師達も走ってやって来て、一気に緊迫したムードに。
酸素マスクを取り付けられながら、緊急帝王切開が頭をかすめたその時、心音は元に戻っていきました。
「さすが助産師、落ち着いて対応してるねー」なんて言われましたが、内心はかなりヒヤヒヤ。
おそらく、臍帯因子の心音低下と考えられました。
破水し、クッションの役割も果たす羊水が少なくなっているため、臍帯が圧迫されているのではないかということでした。
その後も2回程心音の低下があり、結局朝までモニターをつけたまま過ごすことになったので、本当に心配だったのとまた不自由な状態になり、夜は眠れませんでした。
2日目も不発・・・
翌日は、入院日とは違う促進剤を使用する予定でしたが、子宮口の熟化がイマイチということで前日と同じ促進剤をすることに。
診察の結果、子宮口は3㎝のままで、まだまだ厚ぼったくて硬いし、胎児の頭の位置も高い・・・。
今日もたぶん生まれないなぁ、今朝の採血データは悪くないと言われても破水後24時間経つし帝王切開かなぁと思いながら、促進剤の投与を受けていました。
そんな中、またもや心音が低下。
バタバタするスタッフ、酸素マスクを取り付けられた私を見て、付き添っていた夫はびっくりしていましたが、時々あることだからと説明。
それ以降も1回程心音が低下しましたが、回復は良く、胎児の元気さも全く問題がなかったため、やはり臍帯因子で一時的なものだろうということでした。
そして、痛みはというと、午前11時半頃から定期的な痛みが来るようになりました。
でも、発作の間もまだまだ話せるし、昼食も食べられる状態。
そういった状況を冷静に分析し、「本当に痛い時はこんなもんじゃないな」と感じるので、本当に出産できるのかと出産までが限りなく遠く思えました。
その痛みがだんだん強くなってきたのは13時過ぎだったと思います。
発作の間に話すことが難しくなり、夫に軽く腰の辺りをマッサージしてもらうことが心地よく感じられるようになりました。
その内、徐々に痛みと痛みの間が短くなり、痛みの強さも強く、ピークも長くなってきました。
ついに、15時に配られたおやつは夫に譲りました。
食い意地が張っていて、どんなことがあっても食べることをおろそかにしない私がおやつを食べない状況を見て、夫は相当な痛みなんだろうと思ったようです。
また、実習中の看護学生さんたちがマッサージや足浴をしてくれたのは、リラックス効果があって痛みの緩和に繋がり、本当に助かりました。
そんなふうに痛みと戦っていた中、様子を見に来た主治医が、3㎝の子宮口を4㎝へぐりぐりと開大!
もう、これが痛いのなんのって!!
促進剤による痛みなんて比じゃありません。
声だけはもらすまいと決意していた私も、さすがに「いたーい!!」と叫びました(笑)。
仕事上この刺激の辛さはよーくわかっていたので、不必要にしないでほしいとお願いしていたのですが、お産を進める上ではせざるを得ませんでした(泣)。
しかし、無情にも夕方には促進剤の投与が終了してしまい、翌日にまた仕切り直すことになりました。
この日は疲労も強く、出産に備えて、病棟の病室で休ませてもらいました。
それにしても辛かったのは、この日もシャワーに入れなかったこと。
清拭と洗髪はしたものの、もう早くお産してとにかくシャワーに入りたい一心でした。
まさかの破水 -出産レポート①-
出産からあっという間に1ヶ月半経ちました。
慣れない生活に追われてまとまった時間が取れず、ブログ更新が滞っていましたが、忘れないうちに出産時のことをまとめておこうと思います。
入院してから出産まで3日かかったので、長くなるかもしれませんが・・・。
破水からのスタート
私の出産は6月22日、破水から始まりました。
しかも、まさかの36週5日という、正期産に入る前の出来事。
夜中の3時45分、目が覚めると同時にプチッと弾ける感覚に驚いてトイレに駆け込んだところ、もうそれは明らかな破水でした。
夫を起こし、病院に電話と思いながら、その日の日中に美容院に行く予定だった私は、このまま出産になることを考えて、まず自分で伸びていた前髪をカット。
で、破水していたら感染のリスクが高まるため、シャワー、入浴共にダメと言われていたのですが、おそらく出産まで日数がかかるだろうことを考えて、さーっとシャワーを浴びることに!(自己責任です)
そして、病院に電話し、病院に向かいました。
この時は冷静ではあったものの、ここまで頑張ったのに10ヶ月とはいえ早産かーとちょっとがっかりした気持ちでした。
入院1日目:促進剤開始
病院では、救急外来で受付を済ませた後、病棟に案内されました。
そして、陣痛室へ入院したのは朝6時。
ちょうど分娩が重なっていたようで、なかなかスタッフは来ず、夫とぼんやりと時間を過ごしました。
しばらくしてから助産師の診察があり、どうせ子宮口なんて大して開いていないだろうし所見は悪いだろうと思っていたら、案の定「全然届きません・・・」と言われ、ますますがっかり。
出産までの道のりが果てしなく遠く感じられました。
まあでも、陣痛も来ていないし、このまま日数が稼げて正期産で出産できればいいかな、でもそこまでは持たせないだろうから翌日には促進剤を打って出産に持っていくかな等と色々考えていたら、主治医から「今日から促進する」と説明が。
入院時に助産師が診察した結果をみると子宮口が熟化していないので、まずその日は熟化目的で促進剤を使用、翌日は本格的に促進剤を使用して出産しましょう、とのことでした。
そんな状況だったので、その日の出産は限りなく可能性が低く、夫には会社に行ってもらうことにし、一人で陣痛室で過ごすことになりました。
その後、病棟医の診察があり、再度所見を診てもらったところ、子宮口は2cm開大していましたが、そのほかの所見が全然イマイチ。
早速、午前9時過ぎから促進剤が開始されました。
同時にずっと胎児心拍と陣痛をみるモニターが装着され、点滴も繋がっているので、自由に身動きがとれないのが辛かったです。トイレに行く時にはモニターをはずしてもらわなければならないので、いちいちナースコールするしかありません。助産師をしていた私は変に気を遣ってしまって、自分のタイミングでトイレに行くことができませんでした。というわけで、スタッフが別件で部屋に来た時に、「トイレに行きたいです・・・」と言っていました。促進剤の点滴の流量が増えるとトイレも近くなり、大変でした。
促進剤がじんわり効いてきたのは、お昼前くらい。
それも軽い生理痛くらいで、まだまだ痛みの最中も余裕で話せるレベル。昼食も全量摂取でき、促進剤の流量を上げにくる助産師に「痛みはどうですか?」と聞かれても、「まだまだ余裕です。こんなもんじゃないですよねー」と返せるくらいでした。というか、仕事でさんざん見てきているだけに、「こんなもんじゃないはず」という思いが強すぎて、だんだん我慢大会みたくなっていたかもしれません。
モニターの陣痛計をチェックする助産師には、「結構痛くないですか?我慢強いですね」と言われてしまいましたが、そこまで痛くはなかったし、ここで悶絶していたらこの先持たないと思っていました。
とはいえ、12時半過ぎには、だんだんと痛みの最中はふーっとゆっくり息を吐かないとならないくらいの状況になってきました。うまく伝わるかわかりませんが、足のつま先まで力が入るくらいの痛みです。
でも、15時に配られたおやうは食べられたので、「これが食べられるということはまだまだだな」と思っていました。
そして、その日は促進剤を2本打ったところで、促進剤は終了。
2cmだった子宮口は3㎝まで開きましたが、その他の所見は殆ど変わらず、翌日また仕切り直すことになりました。